活動報告

家族や友人などの大切な人が逮捕されてしまった方へ

ご家族やご友人、恋人など、大切な人が突然逮捕されてしまったら、

  • どうしてこんなことに・・・
  • 今の自分に何ができるのか?
  • どのように接するのがよいのだろう・・・

混乱の中、あれこれ思いを巡らせる方がほとんどでしょう。

担当弁護士さんが親切に教えてくださると思いますが、逮捕拘留された側、受刑者側の気持ちはあまり知られることがないと思いますので、私の経験から簡単にまとめさせていただきました。是非、参考にされてみてください。

また、動画では、友だちが逮捕された場合、「どのように関わっていけばよいのか?」について解説していますので、併せてご覧ください。

動画がよかったら、いいね・高評価・コメント・チャンネル登録していただけると、励みになります(*^-^*)

Dr.TAKA(栗原隆)
Dr.TAKA(栗原隆)

留置場、拘置所、刑務所に行った場合の関わり方を、経験談をふまえてお話させて頂いていますので、逮捕された方の友人・家族・待ち人さんたちの参考になれば幸いです。

友人が逮捕された後の支援について 釈放後(または逮捕されてから)の家族や友人との関係を教えていただきたいです。 身内や親族…ではないですが、親しくしていた知り合いが...

ご家族やご友人さまが、留置場にいる場合

逮捕後の手続きと取り調べ

逮捕されて、48時間以内に1度勾留質問というのがあり、東京地方裁判所まで移送されて、勾留期間を延長するための手続きが行われれます。この時は、護送バスが各警察署をまわって被疑者を集めてから裁判所に向かいます。

移送される際は、両手錠に腰縄付きです。裁判所では、流れ作業で勾留質問が行われますが、被疑者の数が多すぎるため、この手続きを行うのに1日かかります。

「勾留質問」とは? 刑事訴訟法で規定されている、裁判官が被疑者の話を聞き、勾留するか否かを決定するための手続き。
「検事調べ」とは? 起訴・不起訴(裁判を開廷するか否か)を決定するため、検察が被疑者に対して行う取り調べのこと。

朝8時頃警察署を出発して、留置場に帰ってくるのは18時頃になります。裁判所に行く日の昼食は、裁判所の地下で手錠をしたまま、パン食が支給されて、それを食べるという感じになります。

検察庁での「検事調べ」の時も同じ流れで、この時は検察庁の地下にある「同行室」というところに、容疑者10名くらいが両手錠のまま隔離されます。各部屋にトイレがついており、用便はそこでします。「ちり紙」は、担当職員に言えば貸与されたと思います。

「検事調べ」も、容疑者の数が多いので、丸1日かかります。遅い時は留置場に帰るのが20時過ぎになったりもします。その場合は、夕食が残されていて、居室ではなく、会議室のようなところで、その日取り調べだった人たちが、まとめて夕食を食べることになります。

検察での実際の取り調べ時間は、事件にもよると思いますが、私の場合は、1回30分程度だったと記憶しています。警察署での取り調べとは違い、事件の全体像を簡潔に聞かれる感じでした。

日中、取り調べなどがない日は、同じ部屋の人たちと、色々な話をしました。これが、けっこう楽しくて、捕まっている現実を忘れられる瞬間でした。

私と同じ部屋だったのは、窃盗容疑で捕まった20代の若者、売春防止法違反容疑で捕まった40代の人、窃盗容疑のベトナム人でした。約40日間の勾留期間の終わり頃には、70代で長期の服役を繰り返している耳の遠い老人が、仮釈放中に覚醒剤を使用したという容疑で入ってきましたが、意思疎通が難しく、警察署の職員も手を焼いていました。この老人は、根っからの悪人で、強姦・強盗などで長い懲役を繰り返していた人だったので、少し怖かったです。

窃盗容疑で捕まった20代の若者とはけっこう仲良くなりました。私が保釈された後は、外から手紙や雑誌などを差し入れていました。彼は今、静岡刑務所で服役中のはずです。

私の場合、留置場で親しくなった友人(後に売春防止法違反で起訴、懲役1年半執行猶予3年の判決)が、私が刑務所に行ってからも、月1回、差し入れや手紙を送り続けてくれました。そして、出所の時も、車で迎えに来てくれました。そのことには今でも感謝しかないです。

留置場はこんなところ

私が約40日間過ごした、新宿区にある戸塚警察署は、比較的新しい建物だったので、留置場はけっこう快適でした。約10年前にいたことのある新宿警察署の方が、設備は古かったです。

なぜ10年前?と思った方はこちらの動画もご覧ください。
Dr.TAKA(栗原隆)
Dr.TAKA(栗原隆)

留置場冷暖房完備なので、暑さや寒さに耐えなくてはいけないということは無かったです。

留置場の居室の壁は、白塗りのコンクリートで、床は薄い絨毯が貼ってあります。扉は鋼鉄製で、取っ手などはありません(自殺予防の観点からだと思います)。居室内のトイレには、扉がついていますが、こちらも取っ手はついていません。トイレ内には、水が出るところがあり、そこで手が洗えます。

留置場には、1部屋あたり4~5人が収容されます。部屋の中には余計なものは一切なく、扉付きの和式トイレがあるだけです。お尻を拭く「ちり紙」は、刑務所と違って、担当の警察官に言えば好きなだけもらえます。

留置場で何をしているの?

日中は朝から晩まで毎日のように取り調べがありましたが、私の場合は、事件の内容をほとんど思い出せない状態だったので、不安や焦りというのはあまりなく、聞かれたことに対し、記憶の糸を辿りながら、淡々と答えるという感じでした。

ただ、私の場合は、押収された覚醒剤の量が多かったので、その鑑定結果などの大量の書類にいちいち指印を押さなくてはいけないのが大変でした。また、家宅捜索では、自宅だけでなくクリニックまで捜索され、大きなパソコンやUSBメモリなどを全て押収されました。捜査が終わってから、すべて返却されたのですが、警察署から自宅まで持って帰るのが大変だった記憶があります。

取り調べがないとき

何もすることが無い時は、「ちり紙」を使いやすいように折る作業をしていました。これは、刑務所に行っても変わりありません。留置場がはじめての人は、この作業をする習慣がないので、私が「ちり紙」を折っているのを見て、戸惑っていました。

何日かに1回掃除機とバケツ、雑巾が入れられるので、それを使って部屋とトイレの掃除をします(トイレ掃除は素手です)。私は他の人と違って2回目の留置場だったので、率先して掃除をしました。

留置場での入浴事情

留置場での入浴ですが、約5日に1回、週に2回程度しか入浴できません。その部分は刑務所より扱いがひどいです。湯船は4人くらいが同時に入れるくらいの広さで、それほど広いとは言えません。入浴時間は10分程度で、刑務所の15分より多少慌ただしいと思います。それでも、お湯はたっぷり使えるので、気持ち良かったことを覚えています。なお、入浴後は綿棒を使わせてもらえます。

留置場での運動事情

留置場の運動時間1日15分程度です。警察署の中にあるフリースペースのようなところで陽の光を浴びる程度です。確かこの時間に、爪切りができたと思います。サンダル履きなので、激しい運動はできません。この時間は、留置場担当の警察官によっては、雑談ができるので、私も当たり障りのない会話をしていた記憶があります。

留置場での身なり・服装

留置場にいる間の服は、グレーのスウェットの上下が貸与されます。中に着るTシャツやパンツは自前です。留置されている間は、ずっとこのスウェット上下で過ごします。また、足元はサンダルが貸与されます。なので、裁判所や検察庁に行く時も、ずっとグレーのスウェット上下にサンダル姿です。

洗面は1日2回で、起床後と寝る前に洗面と歯磨きをします。大きなシンクみたいなところがあり、そこで4~5人ずつ警察署の職員7~8名に取り囲まれて、見張られながら洗面をします。歯磨き粉、歯ブラシ、石鹸、フェイスタオルなどは、貸与ではなく中で購入させられたようです。個人ごとにロッカーがあり、そこから歯ブラシなどを取り出して使用します。

持病がある方が留置されたら

持病の薬などは、逮捕されるとすぐに警察署と提携している病院やクリニックに連れて行かれます。そこで、今現在飲んでいる薬が、新たに処方されます。刑務所や拘置所とは違って、シャバで飲んでいた時の薬がそのまま処方されるので、安心感はあります。

その他

留置場では、ノートを書いたり、手紙を書いたりする場合は、いちいちボールペンの貸与をお願いしなくてはいけません。使用可能時間は、確か朝食後から夕食までだったと思います。昼食の時は1度返納しなくてはいけなかったと思います。留置場担当の警察官に「ボールペンを下さい」とお願いすると、部屋の金網の隙間からボールペンを差し入れてもらうという感じです。

留置場の夜

夜になると、倉庫のようなところから、各自自分の布団と毛布を部屋まで運び、就寝準備をします。この時も、7~8人の警察官に監視されています。そして夜9時になると減灯になります。

私の場合、夜間は「いびき」がうるさかったようで、同部屋の人から文句を言われました。これは、刑務所の雑居房に行っても変わらなかったです。同部屋の人には申し訳なかったと思います。なので、刑務所に行ってからも、事あるごとに独居を希望していました。

留置場で注意すべき点

注意しなくてはいけないのが「面会」です。

動画でもお話していますが、私の場合、逮捕の一報が「Yahoo!ニュース」に流れてしまいました。それを見たよく知っている友人の1人が、留置場まで面会に来てくれたまでは良かったです。

しかし、ある時、全く知らない女が面会に来ました。留置場の担当の警察官から名前を告げられ、「仕事関係の人だと言っている」と言われましたが、記憶にありません。小窓から顔を確認しても誰だか分かりませんでした。なので、面会を許可して直接話してみることにしました。

話をしたところ、10年くらい前にメールのやり取りをしていて、数回会ったことのある女だということに気づきました。親切に色々と話を聴いてくれるので、つい心を許してしまい、保釈された後は、自宅まで料理を作りに来たりもしました。

しかし、それが大きな間違いでした。その女は、留置場に面会に来た時から、私の様子を、事細かく「5ちゃんねる」という掲示板に書き込んでいたのです。それは、裁判が終わるまで続き、私の個人情報はすべてネット上にさらされることになりました。

実刑判決が出た後に、その掲示板の住人の1人がX(旧Twitter)経由で、私に連絡をくれて、そのことが発覚しました。その女に直接連絡をして、「なぜそのようなことをしたのか?」と問い詰めましたが、結局「知らぬ存ぜぬ」を押し通されました。弁護士に相談しても、無視するしかないという対応でした。結果的に、電話もSNSもすべてブロックして難を逃れたという苦い経験があります。なので、逮捕されて留置場にいる時に、よく知らない人が訪ねてきても、安易に面会許可を出さないほうが無難だと思います。

ご家族やご友人さまが、拘置所にいる場合

拘置所ってどんなところ?

単独室は3畳くらいの広さで、そこに洋式トイレがついている感じです。これは、刑務所とそれほど違いはありません。

留置場と違って、冷暖房はあまりきいていません。私の場合は秋に入ったので、とても寒く感じました。

私の場合、裁判から判決が出て収監されるまでの間、保釈が許可されていたので、東京拘置所に入るまでは、引っ越しをしたり、身辺整理をしたりして過ごしました。

ただし、保釈が認められない場合、留置場からそのまま拘置所に移送されて裁判を待ち、判決が出るまで拘置所にいることになります。

拘置所での服装に関して(未決囚の場合)

未決囚(判決が出るまでの間の人をそう呼びます)のうちは、服は自由で好きなものを着られるようですが、留置場と一緒で、紐付きのものなどは、自殺防止の観点から一切認められません。足元は、留置場と一緒でサンダル履きです。

の差し入れは要注意
Dr.TAKA(栗原隆)
Dr.TAKA(栗原隆)

服を持っていない人は、既決囚・懲役と同じ服を着ることになります。服を差し入れても、拘置所の規則で、中で着られない場合があるので、拘置所側から貸与される服を着ていた方が、無難だと思います。中で着られない服は「領置」されて、刑務所を出る時にまとめて返されるので、かえって荷物になります。なので、服の差し入れはしなくても良いと思います。

持ち物の準備に関して

私の場合、東京高裁で控訴棄却の判決が出て、2年2月の実刑が確定した後、2週間ほどで検察庁に出頭するよう命じられました。この時、色々と事前に調べて、刑務所に持っていくものを準備しました。

現金、石鹸、歯磨き粉、タオル、電池、電気カミソリ、Tシャツ、パンツ、靴下、切手、便箋などを、キャリーバッグ1個分持ち込みました。

しかし、拘置所・刑務所に持ち込み可能だったのは、現金、切手、Tシャツ、パンツくらいでした。石鹸や電気カミソリなどは、刑務所から出所する時に、すべて廃棄したので、もったいなかったです。

東京拘置所に入った時は、最初37.1℃くらいの熱があったみたいで、新型コロナの疑いということで、医療用の単独室に2週間隔離されました。その後、一般の居室に移されたのですが、ここも単独室だったので、環境はあまり変わりありませんでした。

拘置所での服装に関して(既決囚の場合)

居室衣は刑務所と同じ薄いグリーンの上下を貸与されます。寝る時は、縞模様のパジャマを着用します。ちなみに、布団や毛布は刑務所と同じで薄いです。

持病のある方の拘置所でのお薬事情

元々、シャバで飲んでいた薬についてですが、留置場とは違い、東京拘置所側が必要な薬を出すスタイルに変わります。私の場合は、当時飲んでいた薬の一覧表を荷物の中に入れておいたのですが、それについては一切聞かれることはありませんでした。

しかし、たぶんそのリストを医師が確認して、薬が処方されたのだと思います。当時は8種類くらい精神科の薬を飲んでいたと思いますが、精神科の薬は3種類に絞られ、あとは喘息・アレルギー性鼻炎の薬2種類と高血圧の薬2種類が処方されました。それでも、夜眠ることができて、精神的にも安定していたので、結果的に良かったと思っています。

薬に関する処遇は、刑務所に行っても変わることなく、拘置所で出されていた薬と同じような成分のものを、刑務所にある薬の中からピックアップして処方される感じでした。精神科系の薬刑務所側の管理になり、夜寝る前に担当のオヤジから支給されることになります。

喘息・アレルギー性鼻炎・高血圧の薬は刑務所に行くと自己管理になります。あと、私の場合、「腰痛」があると自己申告していたので、体に痛みがある時は、ロキソニンの内服を頓服で飲むことができました。これが、後になって役立ちます。

私は、刑務所に入ってから2回新型コロナに罹り、さらに別の時に外耳道炎をおこして、いずれも38.5℃以上の高熱が出たのですが、その時は、解熱のためにカロナール300mgしか支給されませんでした。それでは全然熱が下がらず、出されていたロキソニンの内服で熱を下げた経験があります。なので、これから刑務所に行く人は、事前に「腰痛」と自己申告しておいて、常にロキソニンを手元に常備しておくと良いでしょう。

拘置所での入浴事情

東京拘置所では、入浴は週2回だったと思います。留置場のように数人が入れる広さの浴室ではなく、居室のあるフロアの真ん中に、ユニットバスのような入浴場が4部屋くらいあり、そこで1人ずつ入浴するというスタイルでした。順番が後になると、お湯が汚くなっているので、閉口しました。入浴時間は1人10~15分くらいだったと思います。お風呂場の外には体重計があり、それを使うこともできました。

拘置所での運動事情

東京拘置所でも運動時間があります。1回15分程度です。居室を出て外の回廊のようなところまで行くと、1人1区画運動できるスペースが設けられています。外から鍵をかけられるようになっているスペースの中で、グルグル歩き回ることはできますが、器具のようなものは何もないですし、サンダル履きなので激しい運動はできません。この運動時間中は、爪切りを貸与してもらって、爪を切ることができます。

拘置所の食事

東京拘置所の食事は、全てにおいて味が薄く不味いです。また、配食されてから、空下げ(下膳)までの時間がとても短いので、急いで食べないといけません。これは、けっこうきつかったです。

東京拘置所に入ってから、数日の間は「未決囚」の扱いだったので、お菓子を買うことができました確かロールケーキなどを頼んだ記憶があります。しかし、既決囚になると、お菓子は買えないですし、それまで頼んであったものも、すべて引き上げられてしまいます。東京拘置所で食べたお菓子は、刑務所に行く前の、ちょっとしたご褒美だったように感じます。

なお、既決囚になると、いよいよ刑務作業がはじまります。私の場合は、主に明治神宮の紙袋に取っ手を貼り付ける作業をしていました。他にも紙袋を折ったりする作業を何種類か経験し、刑務所に行くまでの1ヶ月間は、そのような作業をして過ごしました。

また、既決囚になると、髪を切られます。原型刈りと言って、全員一律2mmの坊主にさせられます。収容されているフロアの中央に理髪室があり、そこで、別の懲役にバリカンで髪を切ってもらいます。刑務所に行くと前五分刈りか原型刈りの2種類から選べるようになります。

東京拘置所にいる間はテレビを観ることができません。回覧新聞もなかったと思います。ただ、ラジオは聴くことができました。東京拘置所では、J-WAVE、TOKYO FM、BAYFM78が、タイムテーブルに沿って放送されているようでした。

東京拘置所にいる約1ヶ月の間に、「どこの刑務所に行くのか?」という「分類」が行われます。まず、知能テストみたいなものをやらされます。その後、面接があって「どこの刑務所に行きたいか?」という希望を一応聞かれます。

私の場合、「喜連川社会復帰促進センター」を希望しましたが、結局「横須賀刑務支所」に行かされました。ただ、この方が良かったことを、後で知ることになります。「喜連川社会復帰促進センター」より、「横須賀刑務支所」の方が、刑務官が優しく、規則もゆるいと聞いたからです(最初に喜連川に収容され、その後横須賀に来た受刑者から聞きました)。初犯で刑期が短い人は、全国4ヶ所にある社会復帰促進センターか、横須賀刑務支所を希望すると良いと思います。

拘置所で注意すべき点

東京拘置所での面会ですが、原則裁判を担当した弁護士親族しか面会できません。

手紙のやり取りをして、事前に許可をとっておけば、友人も面会できるかもしれませんが、基本的に友人や知人は面会できないと思っておいた方が良いです。

私の場合、「ギャンブル依存症問題を考える会」の高知東生さんと田中紀子さんが面会に来てくれましたが、東京拘置所側に勝手に断られました。ただ、弁護士との面会は可能でした。

面会時の注意点

面会ができる場合にも、色々な注意点があります。まず、面会は原則として拘置所の職員が立ち会い面会の状況を録画・録音されます。面会時間は約30分です。

もちろん、面会時は、カメラやビデオカメラ、携帯電話、パソコン等は使用できません。
暗号や符号、外国語を使ったり、刑事事件の証拠隠しを指示したりするなど、証拠隠滅や施設の規律・秩序を害するおそれがある会話や行為はできません。

ご家族やご友人さまが、刑務所にいる場合

Youtubeでも刑務所のお話をしています。刑務所関連の動画が何本かございますので、そちらも併せてご覧ください。
Dr.TAKA(栗原隆)
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拘置所から刑務所へ

東京拘置所から横須賀刑務支所に移送される時は、出発前に1人ずつ顔写真を撮影されます。脱走した時の手配写真にするためだと思います。その後、マイクロバスに乗せられ、手錠をかけられて移動しました。手錠をかけられたのは、この時が最後だったと思います。今考えれば、良い思い出です。

東京拘置所からは5名一緒に移送され、その後、刑務所でも同じ部屋(雑居房)で過ごすことになりました。

刑務所到着後の身体検査

刑務所に着くと、まず身体検査があります。移送時に着ていたもの(私服)は脱いで、ガウンのようなものを着させられます。そして、刺青の状況、ペニスに玉入れをしていないかどうか?を確認され、お尻の穴も見せるよう言われます。その後、舎房衣に着替え、所持金や貴重品の確認。私物の確認をされ、中に入るものと入らないものを分類されて、入らないものはすべて「領置」されます。

刑務所へ到着、はじめての刑務所の食事

刑務所に着いた日は、すぐに昼食が出たのですが、東京拘置所と違って味付けが濃い目で良かったです。おかずの量は少なかったのですが、美味しかったことを覚えています。その日の夕食は、横須賀刑務支所名物のコロッケカレーが出たので、満腹になりました。東京拘置所とは違った豪華な内容に、刑務所に入った記念の食事なのかと思って、気が利いているなと感じましたが、それは間違いで、月1回のコロッケカレーの日に、たまたま当たっただけでした。

刑務所の新入訓練と配属

刑務所に入るとすぐに「新入訓練」がはじまります。刑務所での諸動作、行進の仕方、点呼のとり方などを、約2週間に渡って指導されます。それと並行して、刑務所のお偉いさんたち(金線)が、入れ代わり立ち代わり刑務所でのルールなどを講話していきます。

それと同時に、東京拘置所で行なわれた知能テストを刑務所でもやらされます。それを元に、どの工場に配役するのかを決めているようでした。その結果、私は第3工場に配役されることになりました。

横須賀刑務支所では、第1工場では全国的に有名な洗濯石鹸の「ブルースティック」を作っています。第3工場では、民芸品のダルマ、ジャバラ縫製、おみくじやお守りづくり、車のプラスチックパーツの加工などの作業を行っています。

出所後2ヶ月の日常‐私の経験と成長‐2023年12月13日に、横須賀刑務支所から出所したので、今日で、ちょうど2ヶ月になります。 今日は、刑務所の思い出話(外...

刑務所での作業と昇格

私の場合は、車のプラスチックパーツにグリスを塗る作業に従事しました。単純作業が延々と続くので、すぐに飽きてしまいました。しかし、半年くらい経った後、副班長に任命され、いわゆる「立役」になりました。それによって、やる作業が変わって、複雑になったので、少しやる気が出ましたが、それでも毎日やっていると飽きてしまう感じでした。

「立役」になると、食事の時のご飯の量が座り仕事のB食からA食に格上げになり、お腹いっぱいご飯を食べることができるようになります。ただ、どこの刑務所に行っても同じですが、おかずの量は変わりません。なので、少ないおかずで、大盛りご飯を食べるという感じでした。ただ、病気療養などで作業をしなくなると、すぐにC食になってしまうので、A食に慣れていると、お腹が空きます。

刑務所での娯楽事情

刑務所で作業をしている人は、ラジオの聴取、テレビを観ることが許されます。ラジオは余暇時間はずっと流れています。横須賀刑務支所では、J-WAVEとTOKYOFMが交互に流れていました。

テレビは雑居房にいる人は毎日観ることができます。単独室の場合は、類によってテレビが観られる日が決まっています。5類は週1回、4類は週2回、3類は週3回、2類は毎日観られるようになります。土日祝日は何類でもテレビ視聴が可能です。

刑務所では、大相撲の中継が優先されていて、大相撲をやっている間は17時半くらいからテレビを観られたと思います。ただ、私は相撲に興味がなかったので、中継をやっていてもテレビをつけませんでした。

テレビは基本的に毎日18時半からNHKの首都圏ネットワークが放送され、その後は民法のバラエティ番組が放送されるという感じでした。しかし、入所して1年ほど経った時、放送設備の故障ということで、民法の番組が観られなくなりました。その代わり、外国人受刑者も一緒に楽しめるよう、音声は英語で字幕付きの映画が放映されることになりました。

映画が好きだったので、はじめのうちは、この変化は喜ばしいことだと思いましたが、放映される映画が古く、面白くないものばかりだったので、すぐに飽きてしまいました。面白くない映画の時は、テレビを消してラジオを聴いているか、雑誌を読んでいました。

なので、新作の「鬼滅の刃」や「トップガン・マーヴェリック」が放送された時は、とても嬉しかったです。

刑務所では、回覧新聞があって、1人15分くらい読むことができますが、タイトルだけを読んで記事の中身まで読む時間はないという感じでした。ただ、新聞によって社会の流れを知ることができました。

刑務所の食事事情

食事については、東京拘置所より量も多く、味付けも濃いので、概ね満足でした。私自身1年くらいでB食からA食になったので、量的な不満はありませんでした。ただ、1ヶ月ペースで同じ内容の食事が繰り返されるので、だんだん飽きてきます。

よく刑務所では甘いものが欲しくなると聞きますが、私の場合は、あまり甘いものが好きではないので、甘いものが食事に出ると閉口しました。特に昼に「ぜんざい」が、お椀いっぱい出ると、胸焼けが夕方まで続きました。

毎週木曜か金曜はカレーが出ます。チキンカレー、ポークカレーなど名前は変わるのですが、チキンやポークは入っていません。ただ、カレーは薄いものでしたが、美味しかったです。コロッケカレーの日だけが、まともなメニューという感じでした。

あとは、月1回鳥の胸肉の唐揚げが出ました。それと一緒にコーンスープ、スパゲティナポリタンなどが出るので、その日は満腹になりました。それ以外の日は、メニューの名前はついていても、よく分からない炒め物や煮物ばかり出るので、だんだん飽きてきます。特に刑務所の食事には、かさ増しのため、人参がたくさん入っているので、人参が嫌いな人は刑務所生活に耐えられないと思います。

刑務所では、3類になると月1回。2類になると月2回。お菓子とジュースが買えるようになります。1回あたりの購入額は500円以内ですが、これは作業報奨金から引かれます。あらかじめ決められた2種類のセットから選ぶことができるシステムでしたが、3類が増えて、事務手続きが煩雑になったという理由で、途中からはお菓子を選ぶことはできなくなりました。お菓子は土曜日の朝に配られて、夕方までに食べ終える決まりでした。私は甘いものが好きではありませんでしたが、チョコレートなどは嬉しかったです。

刑務所の単独室

刑務所の単独室は、東京拘置所とあまり変わらず、3畳程度の広さに、洋式トイレがついている感じです。昔、刑務所が過剰収容だった時代は、単独室に2名入れていたそうで、それは酷い話だと感じました。

単独室には、私物棚、本を置く棚があり、いずれも一区画のみ使用可能という決まりでした。私物棚には、本人保管薬、ちり紙、電気カミソリ、コップ、歯ブラシ、歯磨き粉などを置きます。本棚には、本や雑誌を置くことができますが、積み重ねて置いてあると注意されます。

刑務所では、工場に出役している間、時々部屋に捜索が入ります。不正な物品を所持していないか?整理整頓されているか?などを刑務官にチェックされます。ここで不正が見つかれば調査・懲罰になります。私の場合、雑誌の切り抜きを写真集の中に保管していたことがバレて、厳重注意になったことがあります。

刑務所への差し入れに関して

刑務所への差し入れは、現金(現金書留)、手紙、雑誌、本、日用品(刑務所の売店で売っているもののみ)を差し入れることができます。日用品は面会に来た時に、ついでに差し入れてもらう感じです。それ以外のものは、すべて郵送での差し入れが可能です。

服は舎房衣と工場着しか着ることができないので、差し入れしても無意味です。靴下やパンツ、Tシャツなどは、シャバから持っていったものを使うか、中で自費で購入するか、官物貸与品で我慢する感じです。

私はかなり丈夫なTシャツを持っていったのですが、洗濯事情が酷く、乾燥器で毎回かなりダメージを受ける感じです。結局、Tシャツは2年持ち堪えられず、穴が空いてしまいました。穴が空いた後は、それを廃棄して、官物支給品で我慢しました。靴下も穴が空いてしまったので、最後の方は、官物支給品を使っていました。

刑務所での運動事情

刑務所での運動は1時間ありました。どんなに寒くても暑くても外に出されます。ただ、熱中症厳重警戒の日や、極寒の日などは年に数日だけ「工場内運動」に変更になったことがあります。運動時間中は、誰と話をしても大丈夫です。私の場合は、芝生のグラウンドを歩きながら、他の受刑者と話をしていました。若い受刑者のうち数名は、自重での筋トレに励んでいました。鉄棒は使用しても良かったので、それで懸垂をしている人もいました。外国人受刑者のみ、バーベルやダンベルなどの使用が許可されていましたが、日本人受刑者は使用不可でした。

刑務所の冷暖房事情

刑務所に冷暖房設備はほとんどありません。工場にはエアコンが3台とストーブが1個ありましたが、工場全体に空調が行き渡る感じではありません。休憩時間に、エアコンやストーブの前に人が集まっていると、工場担当のオヤジに怒られます。

居室棟は、だだっ広い廊下に1個ストーブが置いてあるだけで、エアコンはありません。窓も薄く、隙間風が入って来るので、夏は暑く、冬は寒い思いをすることになります。居室内では、手袋とカイロの使用が認められていましたが、軍手とまったく温かくならないカイロだったので、全然効果がありませんでした。2年目は、カイロの使用をあきらめました。夏は「うちわ」が貸与されますが、熱い空気をかき回すだけの効果しかありません。雑居房には扇風機がついていましたが、私は単独室だったので関係ありませんでした。

夏になると舎房衣が半袖・半ズボンになります。いい大人たちが半袖・半ズボン姿なのは、滑稽な光景ですが、これも刑務所独特のものです。工場は夏場も長袖のままですが、脱衣をすることが許されるので、みんなTシャツ1枚になって作業します。

冬は居室も工場も長袖・長ズボンです。防寒対策として、「メリヤス」、「襟なし」と呼ばれる「長袖シャツ」、チョッキの着用が認められます。ただ、脱ぎ着するのが面倒なので、私はメリヤスだけ着て寒さを凌いでいました。

敷布団は薄くて、一晩寝ると体が痛くなるくらい薄かったです。掛け布団と毛布は意外にしっかりしていて、毛布は寒ければ3枚使用することができました。冬場になると、毛布のうち1枚を敷布団の上に敷いて良いというルールがありましたが、私は面倒だったので、敷毛布はしませんでした。

刑務所での面会事情

平日の朝9時から16時くらいまでの間は面会が可能です。親族や友人などは、事前に手紙のやり取りをしておいて、受刑者側から手紙のやり取りと面会を許可してもらうよう、刑務所側に申請をしておくと、手紙のやり取りや面会ができるようになります。

面会は1回30分です。面会室に入れる人は1回に3名までだったと思います。外国語を使ってはいけないなど、細かいルールは拘置所とあまり変わりありません。刑務官が1名同席しして、話している内容は記録されます。そして、アクリル板越しに面会することになります。1類になると刑務官の同席なしで面会ができるようになるらしいのですが、細かいことは分かりません。

私の場合は、2年2月の間、弁護士が数回面会に来ただけでした。それでも、友人が毎月手紙と雑誌を差し入れてくれていたので、それほど寂しさを感じることはありませんでした。ただ、月1回は必ず母親が面会に来るという人もいたので、そういう話を聞くと少し羨ましかったです。その一方、面会は工場での作業中に呼ばれるので、作業を中断しなくてはならず、やりかけの仕事があると気が気ではありませんでした。なので、面会は少くても良いと感じていました。面会より手紙の方がうれしかったように思います。

刑務所で注意すべき点

留置場に比べて、拘置所や刑務所は格段にルールが厳しくなります。これは管轄が警察庁から法務省に変わるからです。

面会や差し入れのルールも厳しくなるので、不明な点がある場合は、事前に拘置所や刑務所に確認した方が良いでしょう。

味気ない受刑生活の中で、手紙や差し入れ、面会は心のオアシスになります。親族や友人の方は、積極的に手紙を送って励ましてあげてほしいと願っています。
Dr.TAKA(栗原隆)
Dr.TAKA(栗原隆)

ただ、動画の中でお話していますが、雑誌や本の差し入れの中で、犯罪を助長するもの(薬物・犯罪の具体的な方法など)は中に入らない可能性が高いです。また、露骨な性描写がある本も入らない可能性が高いので、差し入れをする際は、気をつけましょう。

まとめ

逮捕された方は、もう自由が利かないので「人事を尽くして天命を待つ」しかありません。流れに逆らわず、無難にやり過ごすしかないと思います。

その一方、ご家族やご友人さまは、シャバに居て自由が利くので、サポートできることはサポートしてあげてほしいと思います。特に長期の服役になった場合は、手紙を送り続けるお金を補充してあげるなどの支援が役に立ちます。

また、出所時には身元引受人になるなど、出所後も温かく迎え入れてあげる環境が必要です。そのような関わりがあれば、本人も更生して、社会復帰ができるようになり、再犯の予防にも繫がります。

人と人との繋がりを大切にして、孤立させないことが「犯罪の予防」には何よりも大切なことだと考えています。

Dr.TAKA

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Dr.TAKA(栗原隆)
■1975年12月28日生まれ ■2005年東京医科大学大学院博士課程修了・博士(医学)の学位取得 ♦医学博士の資格と医師としての経験を活かし、”日本を元気にする”をキャッチコピーに、「薬物依存の予防」と「子供たちの未来を守る」ための活動を2024年1月より本格的にスタート!応援よろしくお願い申し上げます。
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